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東京高等裁判所 平成10年(ネ)1578号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

横浜市

右代表者市長

高秀秀信

右訴訟代理人弁護士

塩田省吾

阿部泰典

被控訴人(附帯控訴人)

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

間部俊明

佐藤剛

小柳憲治郎

主文

一  本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)、附帯控訴費用は被控訴人(附帯控訴人)の各負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  控訴人(附帯被控訴人・第一審被告、以下「控訴人」という。)

1  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人(附帯控訴人・第一審原告、以下「被控訴人」という。)の請求を棄却する。

3  本件附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。

2  控訴人は被控訴人に対し、原判決で支払を命じられた金員のほか三九〇万円及びこれに対する平成五年六月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  本件控訴を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

第二事案の概要

事案の概要は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。

一  原判決書三枚目表二行目の「務め」を「勤め」に、同八行目の「女童(」を「女児(氏名を記載するのは相当でないので本件記録上Y・Tと表示されている。」に、同九枚目裏三行目の「Kと名乗る人物」を「「くじらおか」と名乗る男性」に、同一一枚目表一一行目の「七万〇六六八円」を「七万二六八八円」に、同裏三行目の「六万一〇五八円」を「六万一〇五六円」にそれぞれ改める。

二  控訴人の当審における主張

1  教師の責務と本件の判断基準

教育とは教師の人間的活動を通じて子どもの人格を育成していく営みであり教師の教育の自由は子どもの学習権を保障するという本質的な要請に由来する。そのため教育は免許状を有する専門家である教師によって担われ、そこでは一般社会とは異なった教育社会の法令、条理、経験則といったものが機能しているから、本件の判断においてこれらが十分に尊重考慮されるべきである。

2  本件児童の不登校の原因について

本件児童は情緒障害等の本人の属性による障害により不登校になったのではなく厳しく叱る被控訴人に怯えて不登校になったのであり、被控訴人の教師としての資質、教育方針等に原因がある。

3  清水校長の措置について

(一) 清水校長は、本件児童を不登校児とする養総センターの判定と月田副校長の報告により本件児童が被控訴人の指導が原因で不登校になり転校したがっていることを知ったが、平成五年五月二四日(月曜日)の朝になって突然本件児童の母親から校長室に登校させたい旨の電話を受けたため、できるだけその意向に添う必要があると判断し、緊急事態で被控訴人と十分話し合う時間がなかったことから校長の判断で校長室登校をさせた。その判断は正当なものであり、事前に学級担任である被控訴人の了解を得たり、被控訴人に事情を確認したりする必要はなく、それをしなかったことで担任の立場を蔑ろにしたことにはならない。

(二) 清水校長は、本件児童が教室に戻りたがっていることを察知し、被控訴人に本件児童の受け入れを要請したが、被控訴人はそれ以前にも本件児童が教室に戻りたがっている様子を目撃しているのに拒絶の態度を示し、清水校長の右要請にも反発して従わなかった。清水校長の右要請は学校教育の目的に叶う正当な措置であるのに、被控訴人は教師としての使命に反しこれを拒絶した。

(三) 清水校長は被控訴人が本件児童を教室に受け入れない態度を変えることは不可能と判断し、本件児童を教室に戻すためには被控訴人を担任から外す以外に方法はないと考えて本件処分をすることを決めたが、実際には処分前に被控訴人の夫から長期療養休暇の申出があったのでそれに基づいて本件処分をした。しかし、児童の学習権を保障しないような教師を担任から外すことは学校教育の目的に反するものではなく、たとえ一人の児童であってもその児童の学習権を最大限に尊重すべきは当然である。

4  被控訴人の資質について

被控訴人の指導は小学校一年生に対し先生の話を椅子に座って素直に聞くこと等を要求し、それができないと大声で強く叱るなど児童の個性を無視した画一的なものであり、そのことが児童の怖れや母親の不信となって表われたのである。

5  被控訴人の損害について

(一) 仮に本件処分が違法であるとしても、平成五年四月一日に赴任したばかりで被控訴人と数回しか接触していない清水校長の対応が原因で被控訴人主張の症状が起きたとは到底考えられない。被控訴人は右処分以前から自律神経失調症に罹患していたのであり、また被控訴人の休業は被控訴人自身の申請によるものであるから、清水校長の行為と被控訴人の休職との間に相当因果関係はない。

(二) 被控訴人は担任解除の有無に関わらず病気のため教師としての執務ができない状態であったから損害賠償の請求はできない。

(三) 清水校長がした本件処分の予告は学校教育の目標達成を目的とするもので被控訴人に被害を生じさせることを目的とするものではないから、被控訴人に損害賠償請求権は発生しない。

三  被控訴人の当審における主張

1  担任を年度途中で変更することはあくまでも最終的な手段であるから、たとえ担任が普通教育の目的に反する教育活動をしていると校長が判断した場合であっても、その必要性が高度に認められる場合でなければ許されない。

2  本件児童の不登校は母親の強い意向によるもので被控訴人が原因で不登校になったわけではない。養総センターの初回相談は極めて不十分であり不登校の原因をなんら究明していない。その結果に基づいて被控訴人を非難するのは不当である。

3  本件児童の校長室登校はもともと清水校長が提案したものであるから同校長がそれに備えた準備をするのは当然であり、緊急事態でやむを得なかったというのは言い逃れにすぎない。

4  被控訴人の資質についての控訴人の主張はいわれのない不当な誹謗中傷であり被控訴人を貶めるものである。被控訴人を神経症患者扱いする主張に至っては何らの根拠もなく、清水校長が被控訴人に対して行った違法かつ屈辱的な行為により被控訴人の症状がもたらされたことを無視するものである。

5  小学校の教師にとって年度途中で担任を外されることは駄目教師としての烙印を押され教師としての生命を断たれるに等しいことである。その上清水校長らの非情な対応もあって被控訴人は精神錯乱状態に陥り、家事、育児を含めて家庭生活にも甚大な被害を生じた。本件処分後も処分の理由が明らかにされず、そのことが被控訴人の精神的苦痛を持続させた。

また養総センターの初回相談の不十分さが本件児童の親の不信感を増大させ問題の早期解決を困難にしたという事情に加えて、控訴人訴訟代理人らの訴訟活動等を考えると、被控訴人の被害と控訴人の責任は重大であるから、その点は慰謝料の算定において十分考慮されるべきものであり、その金額は五〇〇万円を下ることはない。

第三証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これをここに引用する。

第四当裁判所の判断

当裁判所は、被控訴人の請求は原判決認容の限度で理由があると判断する。その理由は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中の「第三 争点に対する判断」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。

一  原判決書一二枚目裏九行目の「〈証拠・人証略〉、」の次に「〈証拠略〉、」を、同行目の「原告」の次に「、〈人証略〉」を、同一四枚目表七行目末尾の次に「なお、被控訴人は本件児童以外の児童及びその保護者との間では特段問題はなかった。」をそれぞれ加え、同一六枚目表一行目の「二月中旬」から同三行目の「構音障害」までを「これに先立つ二月八日養総センターに電話をかけ本件児童が三学期になって不登校になった旨述べて相談を申し込んだが」に改め、同六行目の「結果、」の次に「母親から本件児童の担任が恐い先生で大きな声で叱る等の説明があったことから当面」を、同一七枚目表一〇行目の「登校状況等を」の次に「説明するとともに、本件児童は不登校ではなく病気であり母子関係に問題があるが、一年の三学期には元気に登校するようになり改善されてきている旨」をそれぞれ加え、同一九枚目裏五行目の「同校長の」から同七行目の「ならなかったため」までを「緊急事態であったとする同校長の説明に納得せず、担任である自分に説明や相談がされないまま本件児童の校長室登校が決定されたことに反発し」に改め、同二〇枚目表三行目の「原告は、」の次に「同校長の措置に不満ではあったものの」を加え、同裏一〇行目の「本件児童」から同行目の「知った」までを削る。

二  同二一枚目表一行目の「二年四組の教室に戻すことが」を「被控訴人がこれまでの厳しい態度を改めて本件児童を二年四組の教室に暖かく迎え入れることが」に、同一〇行目の「母親の」から同一一行目の「ためにも」までを「本件児童を教室に戻すのであれば担任教師としては母親の意向を正確に知った上で本件児童の指導をする必要があるので」に、同裏一一行目の「述べるだけで」を「述べ、これに対し被控訴人は興奮し、本件児童の親が変わらなければ仕方がない、このまま教室に戻しても混乱するだけである、そのような無責任なことはできないなどと反発し、」に、同二二枚目表五行目の「本件児童は」から同六行目の「なくなったが、」までを「同月」に、同二三枚目表五行目の「怒鳴り罵った」を「叱責した」にそれぞれ改め、同二四枚目表一〇行目の「必要がある。」の次に「ほかの教師にも知らせた方がよい。」を加える。

三  同二五枚目表九行目の「当日」から同一〇行目の「考え」までを「自分のことでほかの教師たちに迷惑をかけたとの思いから」に、同二六枚目表八行目の「担任を」から同九行目の「帰宅した」までを「本件児童親子の許しを得ることができず清水校長の出した条件を満たすことができなかったことから、担任を続けることができないと考えて深い絶望感に襲われ、うつろな状態のまま本件小学校近くの公衆電話から夫に電話をかけ「私はもう駄目だから迎えに来て。」と助けを求め、迎えに来た夫の自動車で帰宅した。被控訴人は帰宅してからもうつろで精神錯乱ともいえるような状態であり、夫婦ともども一睡もせず夜を明かした」にそれぞれ改める。

四  同二九枚目裏一一行目冒頭から同三三枚目表五行目末尾までを次のとおり改める。

「2 これを本件についてみるに、先にみた事実経過によれば、まず、本件処分の直接の契機となった本件児童の校長室登校は、清水校長が、被控訴人の指導が厳しすぎて子供が登校しないので転校させたい旨の本件児童の母親からの要請を受け、転校だけは回避して校内での処理を図るようにとの養総センターの指導主事らからの指導に基づいて行われたものであり、本件児童が学校を休んでいることを知った清水校長が本件児童を登校させるべく本件児童の母親を学校に呼び出して事情を聴取したり副校長を本件児童宅に派遣して本件児童を登校させるよう母親を説得させたりしたことは校長としての責務を果たしたものと評価することができるが、清水校長は本件児童の校長室登校を決定するに当たり母親の指摘する事実の有無について被控訴人の弁明を聴かず、本件児童及び母親に関する情報についても被控訴人から何ら聴取していない。しかし、校長室登校は学校教育上通常予定されている教育方法ではなくこれを長期間続けることが望ましくないことは明らかであるから、児童の学習権を保障し適正な学校教育の実施について責任を負う校長としては、児童の校長室登校を決定するについて、まず事実関係を正確に把握した上、児童を校長室登校させる必要性の有無及び期間はもとより、これが児童及び本件小学校全体の教育に及ぼす影響、更には校長室登校をした後児童をいつどのようにして教室に復帰させるか等の将来的な展望等を十分検討して慎重に判断すべきものである。また児童の担任教師は日常的に児童に接し児童について校内で最も詳細な情報を保有し、その家庭や両親の資質、問題点等についてもほかの教師たちより多くの情報を得ていると考えられるから、校長が児童の校長室登校を決定するについては担任教師から事情を聴取することが重要であり、本件では本件児童の母親は被控訴人の指導が厳しすぎることが本件児童の不登校の原因であるかのように、いわば被控訴人を非難する発言をしていたのであるから、校長としては、その点でも担任である被控訴人の弁明(前記のとおり被控訴人は本件児童の母子関係に問題があると考えていた。)を聴く必要があったといわなければならない。被控訴人の弁明すら聴かずに本件児童の校長室登校を決定するときには、担任としての被控訴人の立場を軽んじたとして被控訴人の反発を買い、将来本件児童を元の教室に戻すことに支障が生じるなど本件小学校全体の学校教育上はもとより本件児童に対する教育上も好ましくない状況や無用の混乱を来す可能性があることも、清水校長には容易に推測することができたはずである。このようにみると、清水校長が本件児童を登校させようと考えて本件児童を校長室登校させる旨決定したことは校長の責務を果たしたものとして評価できる反面、右決定に至る手続の過程においては、事実関係の把握において十分でなく校長室登校が本件児童及び本件小学校全体に及ぼす教育上の影響や将来的な展望等の検討及び担任教師に対する配慮を欠いていたといわなければならない。

(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によると、被控訴人は教育熱心で几帳面な性格の教師であるため児童に接する姿勢が厳しいと評価される素地はある一方、児童を指導してよい方向に向かわせようとひたむきに努力する被控訴人を支持しその指導に期待する相当数の児童、保護者らが存在し、本件児童の保護者以外の者からは被控訴人の指導方法について格別の苦情は寄せられていなかったことが認められるのであるから、被控訴人に教師としての資質が欠けているかのようにいう控訴人の主張は採用できない。清水校長は証人尋問及び(証拠略)の陳述書で被控訴人の問題点についてはそれまでに情報を得ていたように述べているが、その年の四月に赴任したばかりの同校長が五月二四日に本件児童の校長室登校を決定する時点で被控訴人から事情を聴く必要がないほどに被控訴人の性格や児童に対する接し方を含めその教育方針、指導方法等についての問題点を把握していたとは考えられず、右証言等をそのまま採用することはできない。

なお、前記のとおり被控訴人は校長室登校中の本件児童を無視したとも受け取れるような対応をしており、このような被控訴人の対応は客観的にみると教師としての姿勢として批判を受ける余地がある。しかし前記被控訴人の対応は清水校長が被控訴人の了解なく校長室登校を決定したことに対する感情的反発と無縁ではなく、こうした経緯を無視して被控訴人の右対応のみを一方的に非難するのは妥当でない。

ところが、清水校長は、本件児童の母親が希望している転校を回避するには、本件児童を教室に戻すことが必要であり、そのためには被控訴人に本件児童の指導方法を変えてもらうことが不可欠であると判断し、それまでの校長室登校から一転して、本件児童に対する指導方法を変えた上で同児童を教室に受け入れるよう被控訴人に要請した。しかし、被控訴人は、清水校長が一方的に校長室登校を決定しながらそのわずか二週間後に一転して本件児童の受け入れを被控訴人に求めたことに反感を覚えたことに加え、母子関係等について改善することなく本件児童を教室に戻したとしても教室が混乱するので本件児童を教室に戻すのであれば母親の意向を正確に知った上で本件児童の指導をする必要があるとして三者面談の実施を求めたのに清水校長がこれを受け入れなかったため、本件児童の受け入れを応諾しなかったものと認められる。児童が教室で授業を受ける姿が小学校教育本来の自然な形であることはいうまでもなく、校長らが自然な姿に戻すために右のような説得を被控訴人に対してしたこと自体は妥当なことであるし、被控訴人としても一般的にはこれに従う義務があったということができる。しかし、本件児童の母親は本件児童が登校しない理由が被控訴人の厳しい指導にあると言い被控訴人はこれが母子関係に原因があるように考えていたことからすると、本件児童の母親と被控訴人とは相互に強い不信感を抱いていたといえるのであり、こうした相互不信の状態を解決しないまま本件児童を教室に戻したとしても、母親と被控訴人との相互不信という根本的な問題が解決されていない以上かえって本件児童を巡る問題を複雑化させ打開を困難とする結果となる可能性が強いことは容易に理解することができる。したがって、清水校長が本件児童が教室に戻りたがっていると判断し転校を回避するために必要であるという理由で本件児童の教室受け入れを求めたことに対し、被控訴人が教室に混乱が生じ担任として責任を持てないとの理由で本件児童の受け入れを応諾しなかったことについては、それなりの理由があるといわなければならない。そして、先にみた本件処分の経緯に照らすと、それが行われた最大の理由は被控訴人が清水校長の教室受け入れの要請に従わなかったことにあるとみられるのであるが、そのような事態にあっても、担任を外すというようなことは、被控訴人及びその担当する学級の児童に与える影響が大きいためいわば最終的な方法として選択決断されるべきであるのに、事前にそれ以外の方法を模索したり担任を外すことの必要性やその影響等について十分な検討がされたことを認めるに足りる証拠はない。このように被控訴人が同校長の要請にたやすく従わなかったことに無理からぬ点があったと認められる以上、これを理由として行われた本件処分に合理性を見いだすことは容易ではない。

もっとも、本件児童の母親が教育委員会に被控訴人を訴え本件児童の転校を要請したため、清水校長は養総センターの指導主事を含む複数の者に相談して対応策を検討している。しかし、前記認定の事実によると、同校長は、同センターの主事らからできるだけ本件児童の転校を回避し担任と十分相談して粘り強い態度で当たることが必要である旨の指導を受けたにもかかわらず、被控訴人の態度や指導方法を変えることは不可能であると判断し、転校を回避するには被控訴人を担任から外す以外に方法はないと考えて本件処分を決定したものと認められるから、本件児童の教室受け入れを実現させるための努力を十分行ったとはいい難い。

また、被控訴人が担当していた二年四組の児童の保護者の中には本件処分について十分納得していない者が相当数おり、被控訴人が担任を外されることによる児童への影響を心配する者も少なくなかった。

これらを総合してみると、清水校長が校長として本件小学校に赴任して間もない時期に、一年生から持ち上がりで同じ学級を担任していた被控訴人を前記のような経緯により担任から外したことについては、慎重な配慮が欠けていたといわなければならない。」

五  同三三枚目表七行目の「前記のとおり、」の次に「清水校長は右依頼をした次の日には被控訴人から事情を聴取しているから、その間のわずかな遅れをもって被控訴人が依頼を無視したとか報告を怠ったと評価するのは穏当ではないし、」を加え、同八行目の「蜜」を「密」に改め、同行目の「医師の予見どおり」を削り、同裏二行目の「主張する」から同五行目末尾までを「主張するが、指摘された被控訴人の対応のみを非難することが正当といえないことは前述のとおりである。」に改め、同八行目の「右主張」から同一〇行目末尾までを次のとおり改める。

「(証拠・人証略)によると右に類する被控訴人の発言があったことは認められるが、そのような発言は校長らが六月七日に本件児童の教室受け入れを要請した際の多少とも感情的で興奮したやりとりの中でされたものであり、また被控訴人がその場で言いたかったことは前記のとおり本件児童の母親と被控訴人との相互不信という根本的な問題を解決しないまま本件児童を教室に戻しても何ら解決にならずかえって教室が混乱するので担任として責任を持てないということにあったのであるから、その断片的な発言だけを取り出して被控訴人の教師としての資質を云々したり、被控訴人が自らを省みる姿勢に欠けていたと判断することはできず、ほかにそのように認めるに足りる証拠はない。控訴人の右主張は失当である。」にそれぞれ改める。

六  同三四枚目裏一行目の「考慮すると、」の次に次のとおり加える。

「清水校長は本件児童の母親と被控訴人との相互不信の原因について十分な事実調査をすることなく母親の言い分に従って被控訴人の厳しい指導が不登校の原因であると判断し、これに対する被控訴人の意見を聴かずに本件児童を校長室登校としたばかりか、その後不登校の原因についての究明や相互不信の解消を図らないまま本件児童の教室受け入れを一方的に求め、被控訴人が母親との問題が解決されないまま本件児童を受け入れても混乱を起こすだけであるとして母親を含む三者面談の実施を求めたのにこれに配慮することなく受け入れを強いて求めた上、被控訴人がこれに従わなかったとして、本件児童を教室に戻すためには被控訴人を担任から外す以外に方法はないと判断して本件処分をしたものであり、その上担任を続ける条件として被控訴人に本件児童親子の許しを得ること等を要求し、被控訴人を更に精神的に追いつめる結果となったものということができる。そして前記認定事実からすると、被控訴人は本件児童以外の受け持ち児童やその保護者らからは指導上の問題で苦情を受けておらず本件児童以外の児童の指導という点において特に問題はなかったと認められるから、本件児童をほかの教室に配置し、あるいは母親の意向を受けて転校させる等の方法を講じることにより被控訴人が引き続き担任を続けることは十分考えられることであったのに、清水校長はそのような方法を検討することなく被控訴人をいわば資質のない教師と決めつけてその担任を解除するほかに方法がないと即断したものといわなければならない。このようにしてみると、」

七  同七行目の「違法である」を「違法であり不法行為を構成する」に改め、同三五枚目表二行目の「相当である。」の次に次のとおり加える。

「担任の地位は校内分掌上のもので教師は担任となることを法的に保障されているものではなく、担任を解除されたからといって教員としての地位や給与その他の法律的地位又は経済的な利益が侵害されるものではない。しかし、小学校の師は科目ごとに担当教師が定められるのではなく、担任教師が受け持った教室の児童について全科目を指導するのが原則であり、弁論の全趣旨によると本件処分が行われた当時の本件小学校においても同様の実情にあったことが認められる。そのような実情の下において年度途中で病気や本人の都合等以外の理由により担任を外されることはいわば駄目教師としての烙印を押されるに等しく(〈人証略〉)、教師として屈辱的で不名誉なことであるというべきであるから、一旦担任となることを命じられた以上年度途中で合理的理由なく担任を解除されることがないという教師の期待は教師の誰しもが抱く自然なものであるということができる。そして右のような観点からすれば年度途中で合理的理由なく担任を解除された教師が強い衝撃を受け精神的に変調を来すことがあり得ることは十分考えられることであるから、清水校長は被控訴人が本件処分を受けたことを原因として前記疾患を発症することを予見することが可能であったといわなければならない。」

八  控訴人の当審における主張について

1  控訴人は、被控訴人の指導は小学校一年生に対し先生の話を椅子に座って素直に聞くこと等を要求し、それができないと大声で強く叱るなど児童の個性を無視した画一的なものであり、本件児童は厳しく叱る被控訴人に怯えて不登校になったとして被控訴人の教師としての資質、教育方針等を批判し、これが本件児童の不登校の原因であると主張する。しかし、本件児童の母親が養総センターの担当者や清水校長に対し本件児童が被控訴人を怖がっている旨の説明をしたことは前記のとおりであるにしても、これに対し被控訴人の弁明を聴く等の手続は何ら採られておらず本件児童の不登校の原因は十分解明されていない。また被控訴人が作成配布した「一年四組号」(〈証拠略〉)の記載の中には、それだけを取り出してみれば小学校一年生に厳しい指導をしていると窺える箇所がないわけではないが、文章を全体としてみれば被控訴人の児童に対する真剣な指導の意欲が窺われ、右のようなとらえ方は一面的なものにすぎないことが理解できる。そして被控訴人の指導に信頼を寄せる保護者も相当数いることは前記のとおりである。したがって、被控訴人が教師としての資質に欠けている旨の控訴人の主張は偏った見方というべきであり、右控訴人主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

2  次に控訴人は、清水校長が本件児童を校長室登校とした措置は正当なものであると主張する。しかし、校長室登校は学校教育上例外的な措置であることから、その是非はこれがその児童や学校教育全体に及ぼす影響等を十分考慮した上で慎重に判断されなければならないところ、清水校長は前記のように担任である被控訴人から何ら事情を聴取せず、校長室登校が学校教育に及ぼす影響の検討や本件児童をいつどのようにして教室に復帰させるのかというような将来的展望を描くこともないまま、本件児童の母親の言い分に基づいて児童の校長室登校を決定している。児童を校長室登校とするか否かは校長の判断にかかる事項であるが、本件児童を登校させようと努力した点は評価されるとしても、右のような清水校長の決定過程は教育上適切とはいえず学校教育の責任を担う校長として配慮に欠けていたというべきである。清水校長は養総センターに赴いて説明を聞いているが、同センターの対応も母親からの情報に頼っているという点において、同校長のした校長室登校の決定は偏った情報に基づく判断であることに変わりはない。清水校長が校長室登校を決定した後に直面するであろう諸問題について真剣に考えていれば、事前に担任教師から事情と意向を聴取することの必要性と重要性を十分に認識することができたはずである。この点の控訴人の主張は採用することができない。

3  また控訴人は、平成五年五月二四日(月曜日)の朝になって突然本件児童の母親から校長室に登校させたい旨の電話を受けたため緊急事態でやむを得ない措置であった旨主張する。しかし、前記のとおり、校長室登校は同月二一日に本件児童宅を訪問した副校長から本件児童の母親に対して提案された方法であり、これを実施するとしても、それに備えて事前に対応策を検討したり被控訴人から事情を聴取する機会を持つことは十分可能であったし、同月二四日直ちに校長室登校を決定するのではなく、被控訴人の意見を十分聴取した後に決定することも考えられたのであるから、校長室登校の措置が真に緊急なものであったとはいい難い(不登校児童の報告を求めたのに被控訴人が報告をしないとして翌日に事情の説明を求めている清水校長の前記速やかな対応と対比すると、同校長が同月二四日に校長室登校を決定するまでの間被控訴人から何ら事情を聴取しなかったことは一貫しないとの批判を受けよう。)。

4  控訴人は、清水校長が六月七日本件児童の受け入れを要請したのに被控訴人が拒絶して従わなかったことは教師としての使命に違反する旨主張する。しかし、被控訴人の右対応は、担任の頭越しに校長室登校を決めその後短期間でこれを変更して元の教室に戻すという清水校長の一貫しない一方的な決定を不満とするものであるとともに、受け入れの前提として本件児童に対する担任教師としての責任上必要と思われる措置(三者面談)を採ることを求めたものであって理由なく拒絶したというものではない。これに対して、みずから原因を作り出した清水校長としては、本件児童をほかの教室に配置することや転校させることをも視野に入れつつ、本件児童を教室に戻した後に再び欠席させないための具体的な方策を検討する等被控訴人に対し粘り強い指導を行うことが要請されたというべきであって、少なくとも被控訴人が教師としての使命に違反するなどと一方的に非難できる立場にはなかったといわなければならない。控訴人の右主張は失当である。

5  控訴人は、被控訴人の夫から長期療養休暇の申出があったのでそれに基づいて本件処分をした旨主張する。しかし、前記認定の事実経過からすると、清水校長は被控訴人が本件児童を教室に受け入れない態度を変えることは不可能であり本件児童を教室に戻すためには被控訴人を担任から外す以外に方法はないと判断しこれを理由として本件処分をしたものと認めるのが相当であり、被控訴人の夫が長期療養休暇の申出をしたのは被控訴人が清水校長から担任を外すと言われて精神的に変調を来した結果を踏まえたものであるから、これを処分の理由とみるべきものではない。また児童の学習権を保障しない教師を担任から外すことは学校教育の目的に反しない旨の控訴人の主張が被控訴人について当たらないことは前記認定の事実関係から明らかである。

6  更に控訴人は、損害との間に因果関係がないなどと主張する。しかし、被控訴人は、前記のとおり清水校長が本件児童の校長室登校を決定したころから精神的に不安定となっていたが通常どおり勤務して児童の指導に当たっていたところ、本件処分を受けたことにより精神的な打撃を受けて自律神経失調症に罹患し以後勤務することができなくなったものであるから、本件処分と前記認定の損害との間の因果関係を否定することはできない。(証拠略)の正岡医師作成の健康診断書(平成五年九月一七日付)には五月中旬から不眠、不安感等の症状が出現している旨の記載があるが、前記認定事実によると右診断書の記載は被控訴人の夫の説明に基づくものであると認められるから、右記載を根拠として控訴人主張の事実を認めることはできず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない(仮に五月中旬から発現した右のような症状をもって自律神経失調症に罹患していたとみるとしても、前記認定事実によると被控訴人は本件処分を受けたことによりこれが重篤化して休職せざるを得ない状態に陥ったものと認められるから、控訴人の本件損害賠償義務を否定することはできない。)。また控訴人は、被控訴人の休業はその申請によるものであって清水校長の行為と被控訴人の休職との間に相当因果関係はない旨主張する。しかし、前記のとおり被控訴人は清水校長から担任を外すと言われて精神的に変調を来し勤務することができない状態になったため手続上の必要から有給休暇の申請等をしたにすぎず、控訴人の右主張は手続の形式だけを根拠に本件処分と被控訴人の休職との因果関係を否定しようとするものであって採用することができない。担任解除の有無に係わらず病気のため教師としての執務ができない状態であった旨の控訴人の主張についても被控訴人が自律神経失調症に罹患した原因を無視するものであるから採用することができない。

7  控訴人は、清水校長の本件処分の予告は学校教育目標達成を目的とするものであって被控訴人に被害を生じさせることを目的とするものではないから損害賠償請求権は発生しない旨主張する。

児童生徒の不登校の問題は近時教育界において深刻な様相を呈しており、父母だけでなく学校側においても教師が主体的に取り組んで解決を図らなければならないことはもちろんである。しかし、不登校という事態は多くの場合複雑な要因が絡んでおり、個々の具体的な事案に接して責任ある立場にある教師がその原因を解明し障害を排除して適切な解決を目指し賢明に対応することは、望むべくして決して容易なことではないと考えられる。本件において清水校長は本件小学校の最高の責任者として本件児童の不登校という重大な事態を解決するためその長い経験と専門的知識とを最大限に活用駆使し、かつ校長の権限に訴えて最善の努力をしようとしたものとみられる。しかも、自己の判断のみにとらわれず、養総センターと連携を保ち教育センターに赴いて自己の考えについて意見を求め副校長にも自己の意図を打ち明けた上、校長室登校の措置を採ることを決定し、更に本件児童の校長室登校における反応、態度を観察した後、教室登校に戻すことが相当であると判断し、最終的に本件処分に及んだものである。

したがって、清水校長の一連の行動は校長という責任ある立場からの真摯な意図に出たものであり、学校教育において発生した困難な問題を自己の力で解決克服しなければならないという使命感に駆り立てられたものということができ、もとより本件児童の担任教師である被控訴人に何らかの被害を生じさせることを意図してしたものではない。

このようにしてみると、清水校長の本件における対応はどの場面をとっても学校教育上の目標を達成するという目的に出たという本質を有することを否定することはできない。しかし、同校長が実際にしたことは、既にみたとおり本件児童特にその母親の訴え、要望、意向等に誠実に対応(あるいは過剰に反応)するあまり性急に物事を運び、本件小学校全体に及ぼす教育上の影響等の検討や被控訴人の担任教師としての立場に対する配慮を欠くことになったとの批判を免れないものであった。このことからすると、清水校長のした本件処分(の予告)の目的が上記のようなものであったことから被控訴人の損害賠償請求権を否定する控訴人の主張は、本件処分の正当性をいうかあるいは不法行為の成立を否定するかいずれにしても採用し得ないものというべきである。

九  本件附帯控訴について

前記のとおり被控訴人は教育熱心で几帳面な性格の教師であり、児童に接する姿勢が厳しいと評価される素地はあるが児童を指導して良い方向に向かわせようとひたむきに努力してきたものとみることができる。しかし、このような被控訴人の性格はともすれば自分の意見に固執し安易な妥協を嫌う傾向として現われ、周囲から否定されると挫折しやすいといったことにも通ずる面がないではなく、こうした点は前記認定の事実経過からも窺われるところである。また被控訴人は本件児童を受け入れてほしい旨の清水校長の要請に対し三者面談の実施を求めて校長と対立する結果を招いているが、三者面談の必要性は理解できるものの最終的にこれが不可欠なものとまではいい難いから、この点被控訴人の側にも柔軟性を欠いていたきらいがある。また被控訴人が前記認定の症状を呈し疾患にまで至ったことについては前記のような被控訴人の性格が災いしたとみられなくもない。その他前記認定にかかる諸事情を総合すると、小学校の教師にとって年度途中で担任を外されることは駄目教師としての烙印を押されるに等しく、本件処分を受けたことにより被控訴人が精神的な打撃を受け、家事や育児を含めて家庭生活に多大の被害を生じた(〈人証略〉)ことが認められるものの、本件慰謝料の金額としては原判決認定の金額をもって相当と判断される。

なお、被控訴人は養総センターの不十分な初回相談が本件児童の親の不信感を増大させ問題の早期解決を困難にした旨主張する。しかし、(証拠・人証略)によると、養総センターは心身障害児に対する支援(教育の充実及び振興)を目的とする施設であるが不登校児童に対する指導も行っており、同センターの初回相談は親の言い分を受容するという観点に立って行われていたことが認められ、右のような初回相談の方法が採られていたこと自体は合理的な理由があるというべきであるから、右方法をもって直ちに不十分であるとは言い難いし、そのことで被控訴人主張のような結果を招来したと認めるに足りる証拠はない。被控訴人の右主張は採用することができない。また控訴人訴訟代理人らの本件訴訟活動は本件処分の一部又はこれに付随するというものではないから、これを本件慰謝料算定の事情として考慮すべき旨の被控訴人の主張は採用することができない。

第五結論

よって、原判決は相当であり、本件控訴及び附帯控訴はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項、六一条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(平成一一年七月一九日口頭弁論終結)

(裁判長裁判官 新村正人 裁判官 宮岡章 裁判官 笠井勝彦)

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